友人からフェイスブックで「5days challenge」バトンを受け取りました
ハルマチの吉積佳奈(よしづみかな)です。おはようございます(^^)
私の趣味は「お茶」です。切っ掛けは小さい頃、叔母のところに
先生が教えに来られていて、従姉たちも楽しそうだったので
「ね、私もかてて」というとそのとき叔母がこう言ったのです。
「お茶は大人の嗜みだから佳奈が大人になったらね。」
母も叔父も若い頃、近くのお寺で習っていたと聞いていたので
知っておきたいとも思ったのです。
高校生のとき、週に一回授業で習うものに2年生のときお花を。
3年生の時、お茶に初めて触れました。
その時、教えに来て下さっていた先生の第一声
「皆さんは、博多の聖福寺をご存知ですか?」
誰も即答しないでいると「博多でお茶を習おうという貴女方が
聖福寺を知らないなんて。。知らないにも程がありますよ。」と
一喝してくださる先生でした。歴史好きの私。
わぁ、歴史、勉強していいんだ、嬉しい~♪と思いました。(^o^)
私は当時「武士の辞世の句」に大変興味がありました。
吉田松陰の辞世の句には声に出すだけで今でも打ち震えます。
親思う 心に勝る親心 今日の訪れなんと聞くらん
弟子たちに宛てた手紙や上奏文は激しいのに対し 辞世の句は
こんなにも思いやりに満ちている。松下村塾にある説明書きに
この辞世の句を紹介している弟子の聡明さが
また吉田松陰がどれ程の人物だったかを彷彿させます。
・・それに比べて、利休さんの辞世の句は
人生七十 力囲希咄 吾這寳剣 祖佛共殺
堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛
(じんせいななじゅうねん りきいきとつ わがこのほうけん
そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくのひとたち
いまこのときぞ てんになげうつ)
(人生七十年 えい!やぁ!とう! 我がこの宝剣で祖仏も 共に
我と共に殺してしまえ 上手く使いこなしえる刀を引っさげ
今、天にこの身を放つ )
どう考えても、利休さんは「怒り狂って」います。
吉田松陰と最後が似ていますが、この差は一体なんでしょう?
精神的に崇高なものを感じさせる、千利休がですよ。
彼の辞世の句がこれで本当にいいのかぁ?なんじゃこりゃ。。
習いつつ 観てこそ習え 習わずに 良し悪し言うは愚かなりけり
利休さんは利休百首の中でちゃんと釘も刺しています。(^^;
平賀源内は「当代の茶人は利休の糞を美味そうに喰ってる」と
揶揄していましが、私は利休さん自体にも納得できせんでした。
「批判する」なら、徹底的に知り尽くしてから、完全に消化して
これは役に立たないと言って捨ててしまうつもりで体で覚えました。
白黒はっきり付けるエネルギーすら失い掛けていたほんの数年前。
古田織部が主人公の漫画「へうげもの」がこの世に出ました。
目から鱗でした。ああ、この解釈ならば、理解できる。といいますか
なぜ、気が付かなかったんだ。自分の愚鈍さに打ちひしがれました。
「おもてなし」とは、表面にあるものではなく、その奥にあるもの
感じ取れるためには、自分自身にその力量がないと感じ取れないもの。
素直に学ぼう。上っ面な批判的精神からの卒業。
今、私が、お茶に夢中なのは、感度が良くなってきたからだと思います。
その道に 入らんと思う 心こそ 我が身ながらの 師匠なりけれ
・・・利休さん、知れば知るほど、大きい。
ここで「へうげもの」の利休さんの辞世の句の解釈を書いてしまうのは
あまりに野暮。どうぞ、是非、読んでみてください。お薦めいたします。
では、今日はこのへんで。
次回は「団扇と扇子」について書きます。